【2009木の家具展 打ち合わせ会】 漆工房から『でく工房』まで 車の中で おにぎりを いただきながら急いで移動しました。 『でく工房』と出会ったのは、1976年、伊勢丹デパートで開催された『暮らしと自然展』でした。今から33年前になります。『でく工房』のホームページを拝見すると、7月1日で25周年目を迎えた と、書いてあります(私達が訪問したことも)。私達“純木家具”も、10月1日で35周年目を迎えますから、ほぼ同時期に出発したのです。『暮らしと自然展』に出品して、主催の“秋岡芳夫”先生から『でく工房』の3人を紹介されました。竹野廣行、光野有次、荒井某。特に竹野君は ニコニコ笑顔が印象的で、その後、当時の若手木工家の卵たちが集まって、色々な情報や、悩み等を相談したり、それらのことを“黙木”という ガリ版ずりの情報誌を発行し、送ってくれました。その“黙木”によって、地方に居ても、若い木工の仲間の名前と、どんな意見を出しているかが、ほぼ理解できたものです。 その後、間もなく銀座の松崎せんべいの 2階ギャラリーで 十数名の“木工展”を開催したとき、私も工房から2名の若者を連れて上京し、初めてメンバーの 氏名と顔、そして作品が一致したことでした。それから銀座十字屋3階のギャラリーで“木の家具展”が始まり、今年で28年を迎えることになりました。 それも、すべて、竹野君が 黙々と集まる仲間の面倒を見、ガリずりで“黙木”を発行してくれたからです。彼は7年前に亡くなりました。今回は、その後の様子を見学に参りました。現在、でく工房の仕事は順調で、障害を持人たちの 一人一人の状態に、親切に合わせる 世界に たった一つの椅子や食器等を考える いわゆるパーソナルオーダーの体具を 作る仕事ですから、求めるユーザーは、列に並んで待っている という状況で、忙しくて忙しくてたまらない状況でした。しかし、一人一人の障害の状況を把握、身体の綿密な形状測定、その形状に合わせた背、座、肘、足の保持装置を備えることは、非常に時間が掛かること。しかも、二つと同じ規格は ありえない。たった1台作って、その型は 二度と使用できないのだから。ともかく、故竹野君の長年の努力が 今 報われていることに 安堵し、木の家具展の打ち合わせ会を終えました。
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