2011-04-10(日) 18:26:42
『東日本大震災へのお見舞い、ご心配をお掛け致しました』

 3月11日 14:30 地震発生! 予想というわけではありませんが、ここ2年ほどは、不気味な感じがして、工房での休憩時間には「しばらく微震も無いがストレスが貯まって大地震が来るんじゃないか?」という話をスタッフ達に時々してはおりました。しかし、よりによって、私の誕生日に起きるとは!。
 明治29年の三陸大津波で、私の曽祖父一家が すべて さらわれ、昭和8年の昭和8年の昭和大津波で、母方の伯父が崖をよじ登って逃げる腰まで津波に引き寄せられながら、かろうじて助かった。そんな因縁もあって今回の地震も起きたのかもしれません。(笑い)
 さて、工房の事務室は激しく揺れ、ご覧の通りの散乱状態になりました。地震発生直後に停電になったので、スタッフ全員帰宅させ、息子と二人で半分くらいまで片付けをしてから帰りました。
 テレビは棚から落ちる、パソコンのディスペレイが落ちる、本棚の書類が落ちる。(ま、こんな状態になるのは、震度5くらいだと、今まで3回くらいはありましたが) 今回の地震は、強く、長かった。
宮城謙と岩手県の境辺りは震度7くらい。盛岡で震度6弱くらい、岩泉は震度5強くらいだったでしょう。

2011-04-10(日) 18:38:25
『東日本大震災へのお見舞い、ご心配をお掛け致しました』

 事務室には、薪ストーブが赤々と燃えていました。
私は、事務室からは飛び出しましたが、ストーブの脚が
コンクリートブロックから外れると木製の床が燃えるだろう、
その際は消火器で消さなければ、と、2回の流し台のところで
とどまっておりましたが、スタッフ達は道路に出ていて「早く降りた方がいいよ!」
と、口々に叫んでいました。しかし、火災警報機が鳴り出した。
事務室に飛び込むと、棚から落ちた書類で ほこり が舞い上がり、
煙感知端末が働いて警報機を鳴らしているようだ。
警報機のスイッチを切り、再び流し台のところで待機。
結局、後の祭りだが、地震中、少し緩んだとき、バケツに水を汲んでストーブの火を消して逃げることがベスト と、気がついた。

2011-04-10(日) 18:47:20
『東日本大震災へのお見舞い、ご心配をお掛けしました』

 事務室は、このような木造の3階にあります。
震度 1 でも、明確に揺れを感じます。
震度 3 くらいだと、飛び出したいような感じがします。
3/12 翌日、電気は復旧。停電は解除されました。
3/18 携帯お電話が復旧。これで、最低限の皆様に 無事の連絡ができました。
しかし、固定電話が3/26と、大幅に遅れ、インターネットに至っては、3/30でしたから、ご心配をいただきました皆様には、大変なご苦労をおかけしてしまいました。
本当に、有難うございます。 これから、『工房の窓から』を再開いたして参ります。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

2011-04-11(月) 15:01:20
  【大震災後 納入したお客様からの通信】長野市の『家具家 いだ】のショップ経由でご注文をいただいた、長野市の 伊藤ヒロ子様からです。
【注文してから やっと と思うくらい日が過ぎました。しかし、ひとつひとつ丁寧に心を込めて作ってくださった時間だったんだな!と、思いました。色といい、形といい、大きさといい、とっても気に入っています。本物の気の温もりを感じました。持ち手も気に入っています。中心が、もっくらと膨らんだ作りは私の想像をはるかに越えた出来栄えでした。注文のきっかけは、いださんのお店で、小さな机の上に置くのにちょうど良い大きさの手付き盆を見つけた時です。だらしなくベッドの上に投げつけていた寝巻きをキチンと畳んでおける、明日着る服一式をキチンと畳んで寝室に置いておける、それにはもっとこれを大きくした盆がちょうどいいな!と思ったのです。ですから いださんと 大きさについて色々使い方も考えて、この大きさにしました。着物を着るときに、その盆に、タビ、腰紐、襦袢、襟芯、帯締め、帯アゲ、小物等を入れて、それを足元におき さらっと着れる。そんなときにはとっても重宝するな と思ったのです。着物を肩掛けにしたまま 家の中をアレを忘れた、これ用意してないと動かなくて済むではありませんか。そんな様子を想像して嬉しいです。今では、この盆に生活の決まりよさを教えてもらったように思います。時には花見の盆にもしたいです。木目の美しさ、しっかりとした作りに満足しています。大切に作ってくれた職人さん方に感謝しながら使います。】

2011-04-13(水) 13:41:39
  【お客様からの通信】 大震災直前に納入された 神奈川県、茅ヶ崎市の I さんからのお便りです。
 【雪の多かった北国の冬にも春の訪れが感じられるこの頃ではないでしょうか。
このたび購入のリビングチェアー とても気に入っています。盛岡在住の友達に数年前連れて行ってもらったときから、盛岡を訪れるたびに一人でブラリと立ち寄り、見て楽しんでいた私ですが、今回主人と訪れ、長年の夢がやっと叶い購入できました。
我が家に届き、ここにと思っていた場所に置き 座って見ました。何故こんなに椅子一つで気持ちが豊かになるのだろうか。それはやはり本物だから。そして自然の中から生まれたものだから。そして、作り手の気持ちが 肘を置き、もたれかかった時の安定等、各所に感じられるからでしょうか。
これは、子供に残せるものです。今、世の中は 安かろう 悪かろうに流れています。そんな今だからこそ本物を自信を持って送り出すお仕事を応援しております。】

2011-04-15(金) 13:27:13
 【古材再生リフォーム】

 昨年の暮れ近く、隣村の T さんからお電話をいただきました。
「お嫁入りの時の裁板を、ダイニングテーブルにリフォームできますか?」という問い合わせでした。
「サイズは、長さ180cm、奥行きは60銭あるが、80cmにしたい」ということで、お見積もりを致しました。
今年2月になって、その裁板が送られてきました。
到着のご連絡に電話を差し上げた所「その裁板は、お宅の伯父さんが作られた物です」というのです。
伯父は、岩泉で“誂え家具屋”をしていました。お嫁入りの箪笥とか家庭の茶箪笥、長火鉢等々、何でも町の人々から注文を受けると、作って納めておりました。その伯父が作った裁板を目の前にして「今のように電動工具も、ルーターも無い時代に精巧な蟻溝を作ったものだなぁ!と思いました。もっとも、私が家具作りを始めた頃も、あぜ挽き鋸と、蟻鉋で蟻溝を掘り、電動カッターで底をさらって仕上げることを指導してもらいましたが、ハンディルーターで、蟻ビットで掘る事を覚えてからは、蟻鉋も、使うことがなくなりました。
さて、蟻桟(吸い付き桟)をはずす作業です。

2011-04-15(金) 13:29:10
 【古材再生リフォーム】

 もう一方には、2段の引出しが付いていました。
その引出し箱を外します。

2011-04-15(金) 13:30:45
 【古材再生リフォーム】

 そして、吸い付き桟も外します。

2011-04-15(金) 13:42:15
 【古材再生リフォーム】

 裁板の栃は、一枚板でした。
私の父が製材所を経営していたので、これぞという丸太からと選んだ板だったのでしょう。
栃の中でも、赤栃でしたから。
赤栃から採った板は、狂いにくいのです。白栃は、縮み杢が細細と散らばっていて、どうしても、反り、ねじれが出ることが多いのです。
裁板は、一枚板ですから、中央の三分の二くらいはピンク色をしています。そして、両側は、白い色をしています。
この板の性に似合う板を、木材課長の佐々木さんに4枚ほど 倉庫から探し出してもらい、その原板を二つに裁断して、8枚にし、その中の2枚を選んで、左右両側にあわせました。木工の担当は、ベテランの千葉さんです。

2011-04-15(金) 13:44:05
 【古材再生リフォーム】

 いよいよ、手鉋削りです。
このあと、サンディング磨きをします。

2011-04-15(金) 13:49:33
 【古材再生リフォーム】

 2本の吸い付き桟を、クランプで 差し込んでいきます。
この吸い付き桟は、天板が反るのを防ぐ役割をします。
しかも、そりは防ぎながら、四季折々の空気中の水分、つまり湿度によって、板が膨張収縮するのですが、幅方向の動きは自由にさせてやる作りになっています。

2011-04-15(金) 13:51:18
 【古材再生リフォーム】

 吸い付き桟に、二枚ホゾを掘り、脚部も2枚ホゾにして
組み合わせます。

2011-04-15(金) 14:27:47
 【古材再生リフォーム】
 
 ホゾの中には、接着剤を塗って、クランプで圧着固定します。
純木家具工房では、オーダーで製作するときには、それぞれの工程で、
記録写真を撮ることになっています。
しかし、次の工程 漆工の三上君が記録写真を忘れたらしく、残っておりませんでした。

2011-04-15(金) 14:44:18
 【古材再生リフォーム】
 漆工完了しました。裁板がダイニングテーブルに再生されました。これに角Dチェア4脚と、丸スツールが付きました。これらが完成という時に、あの11日の大地震、大津波が発生。社会が大混乱しました。Tさんのお宅は漁港の近くの街並にあるので、被害に遭わなかったかと心配しました。3月18日に、車の燃料が心細かったのですが、3箇所の被災地を回りました。Tさんのお宅で初めてお顔を見て「あぁ 私の生家の近所の人だ」と、すぐわかりました。岩泉からお嫁入りしたので、伯父の作品をお持ちだったんだな、と、そしてこのテーブルを納めた隣の座敷には、やはり、伯父 工藤善治郎作の小振りの茶箪笥も大切に使って下さっておりました。因みに善治郎は、私たち純木家具職人の師匠であり、昭和60年4月29日、黄綬褒章を受章致しております。

2011-04-18(月) 09:28:54
 【古材再生】

 このほど、珍しいものをお預かりしました。
ケヤキ作りの立派な座卓です。120cm四方の大きさです。
この座卓を、高さ70cmの食卓にして欲しい。というご希望でした。

2011-04-18(月) 09:32:37
 【古材再生】

 座卓の裏面。墨書きで記録がありました。
明治2年 廃藩置県により、盛岡城を解体することになり、
解体した材料で座卓を作り、大切に残したい という趣旨の文章です。

2011-04-18(月) 09:37:56
 【古材再生】

 座卓のケヤキ材と素性の似合う材を選んで、脚を作ります。
四角く囲んだ筒状の脚を作り、下には蓋をして、座卓の脚に履かせます。
見えにくい内側からモクネジで止め、いざという時には、座卓にも使える。
そのように、作りました。
脚が付いた状態では、大きく、重くて大変でもあるから。

2011-04-18(月) 09:40:53
 【古材再生】

 長い足を取り付けました。
かなり、太い脚になりましたが、座卓の脚を切り落とすには忍びなく、
今後とも、食卓、座卓 両用できるほうが良いと思います。

2011-04-18(月) 09:48:26
 【古材再生】

 これで完成です。
このテーブルを納入しましたら、また同じサイズの座卓をお預かりしました。
この裏面には朱書きで、同じ文章がありました。
江戸時代に樹齢数百年という樹が、盛岡城の建築に使われていたケヤキが、
明治維新で座卓になり、平成23年にダイニングテーブルになり、これから先、末代まで使用される。
ケヤキの樹も、喜んでくれることでしょう。

2011-04-19(火) 10:45:53
 【古材再生】

 これが 2台目の座卓です。
天板に13ミリほどの割れがあり、ケヤキ材を埋めました。
天板ノ裏側には、朱書きで、謂れが記述してありました。

2011-04-19(火) 11:00:36
 【椅子修理再生】

 ずいぶん昔のお客様から「椅子が壊れてしまった、修理して欲しい」
との電話が入りました。
さっそく、ダンボール箱を送って、その椅子を発送してもらいました。
これは、左の片アームデスクチェア。アームの無い方の脚が外れてしまったようです。
アームがあれば、脚部も しっかりと固定できるのですが、アームが無いと、
片持ちのため、弱くなってしまいます。

2011-04-19(火) 11:07:55
 【椅子修理再生】

 今回は、座裏と脚部とを隅木で接合強化して修理しました。
これで、今後の問題は起きないでしょう。
製作の焼印を見ると、91089 千 と押してあります。
1991年ですから、ちょうど20年前に納めたものです。
作者は 千 つまり 千葉の略称ですから、本人が修理を担当しました。

2011-04-19(火) 11:10:09
 【椅子修理再生】

 片方の脚は、新しく製作しましたが、これで再生完了です。
また、再び お客様の下に行き、末永く働いてくれることでしょう。

2011-04-20(水) 08:48:12
 『盛岡城 軒丸瓦を入れる箱』

 これは、座卓の再生のお客様とは 全く別な方ですが、
明治維新で盛岡城が解体されたとき、軒の丸瓦を大切に仕舞っておいた方。
これを収納する箱を製作して欲しいというご注文です。

2011-04-20(水) 08:52:35
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 箱に選んだ材は、欅(ケヤキ)です。
箱の四方から、蓋まで、240cmの長さの板を使用しました。
木目が周囲を続いているように使用しています。

2011-04-20(水) 08:54:01
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 手鉋で削り、サンダーで磨きます。

2011-04-20(水) 08:56:35
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 ケヤキの箱は、外箱です。
瓦を入れる内側には、桐箱を使います。

2011-04-20(水) 09:00:37
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 桐箱を組むには、木釘を使います。
木釘は、畑の境に植えてある“ウツギ”を削って、釘の形にして、
金属のお盆に入れ、ストーブの熱で炒って、狐色くらいで仕上げます。

2011-04-20(水) 09:02:54
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 木釘にボンドをつけて、打ち込んだら、
鋸で切り落とします。

2011-04-20(水) 09:04:37
 『盛岡城 のき丸瓦を保存する箱』

 桐箱の底板に打ち込んだ 木釘を切ります。

2011-04-20(水) 09:06:03
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 桐箱に、蓋を合わせます。

2011-04-20(水) 09:08:41
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 ケヤキの外箱を 摺り漆で仕上げ、桐の内箱を仕込んだ状態。
桐箱の蓋の裏側には、銘を入れました。

2011-04-20(水) 09:13:03
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 盛岡城軒丸瓦
 入尾羽双鶴文

南部盛岡蕃の家紋は、向かい鶴。家紋の形の軒丸瓦なんですね。

2011-04-20(水) 09:14:32
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 桐箱を出して、外箱が見えます。

2011-04-20(水) 09:16:23
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 桐箱に蓋をして、ケヤキの外箱に納める。
このように納まります。

2011-04-20(水) 09:21:41
 『盛岡城 軒丸瓦を保存する箱』

 蓋を閉めて、完成です。
お客様には、大変ご満足。お褒めをいただきました。
しかし、数年前には、盛岡城の飾り棚をダイニングテーブルに再生。
今年は、盛岡城に使われていた材で、記念に作られた座卓2脚を、
ダイニングテーブルに作り変え、更に、軒丸瓦を保存する箱、と、
南部蕃に冠する仕事が舞い込んだ年になりました。

2011-04-27(水) 09:19:11
 『テーブル再生-1』 1989年にご購入された 杉並区の Y・Mさんから テーブルの再生を依頼されました。
 
テーブルの裏表両面を、あらかた削り落とし、両側についた耳部分の漆塗りをワイヤーブラシで落としています。
食卓用ですので、表面に塩分が付着していると、漆が乾き難いから。 

2011-04-27(水) 09:20:47
 『テーブル再生-2』

 耳部分を磨いたら、裏表両面に、仕上げの手鉋を掛けます。

2011-04-27(水) 09:22:44
 『テーブル再生-3』

 木口も削り、今度は、両面をサンダー掛け。
満遍なく、むらの無いように磨きます。

2011-04-27(水) 09:33:14
 『テーブル再生-4』
 木工を終えたら、漆工室へと移動。
1回目の漆塗りです。
ここで用いる漆は、“生漆”(きうるし)。
山の 漆の樹の皮に漆鎌で、斜めに傷をつけ、漆の樹が傷口を修復するために作った特殊な樹液を傷口周辺に集め、その傷口の周辺に更に漆鎌で傷を作ることで、生漆の液が少量 流れ出てきます。
それを集めたものが、生漆です。もともと、樹から生成したものですから、木とのなじみが良く、良く染み込みます。

2011-04-27(水) 09:38:33
 『テーブル再生-5』
 三分の一から半分ほど塗ったら、乾かないうちに
塗った部分を布で拭き取ります。
むらの残らぬように、満遍なく拭き取ります。
翌日、乾いたら、けば立った部分をサンドペーパで磨くという工程を
2回、3回、4回、5回と繰り返すことにより、表面に艶が出てきます。

2011-04-27(水) 14:23:37
 『テーブル再生-6』 杉並区の Y・M さんの栃のテーブル
 【約20年前、木の美しさに一目ぼれ、けれど、我が家には大きすぎる。悩んだ末 購入を決意した時には 既に売却済み。諦めきれず 次の展示会で少し小さいサイズながら木目の美しいテーブルセットを購入しました。
10年前、少しゴムで傷ついた時に、工藤さんが訪問してケアして下さいました。その時のアドバイスから、今回部屋のリフォームの機に 漆の塗りなおしを依頼しました。

2011-04-27(水) 14:30:52
 『テーブル再生-7』

 大震災、津波等の被害が聞こえる中、どうなることかと多少案じておりました。
家具より人命の方が大事ですから、遅れることは覚悟しておりましたが、
今日、予定通りに届きました。
そのままだった脚や、椅子より濃い色ながら、シックな美人です。
これからも、大切に使ってゆきます。

M Y さんのテーブルは、1989年ですから、ちょうど22年ご愛用いただいたところで、再生になりました。
大切にお使いいただいて、鉋で削るのが、もったいないような良い状態でした。

2011-04-30(土) 17:39:12
 『岩手県・広報-田野畑より』
 東日本大震災により、災害を受けた 田野畑村の広報を拝見した。
田野畑村には、海岸に「ホテル羅賀荘」があり、ウニ、ホヤ、ホタテ等々、海の幸満載の料理に加え、バイキング形式の朝食には、
地場産の新鮮で美味しい 田野畑牛乳、ヨーグルト、を味わうことができた。30年来、東京八重洲の画廊で開催してきた“木の家具展”の作家仲間の打ち合わせ会も、生きた殻付きのウニなど、食しながら楽しく
開催できた楽しい思い出がある。

2011-04-30(土) 17:45:46
 『岩手県・広報-田野畑より』
 2011年3月11日 東日本大震災に襲われた。
地震の震度は 震度4と観測された。大地震にしては、さほど危機感を
感じない地震だったようだが。
明戸湾に向けて襲い掛かる津波。ここまでは、大きいことは大きいが、
大災害を起こすことは、予測できなかった。

2011-04-30(土) 17:52:56
 『岩手県・広報田野畑より』
 ホテル羅賀荘めがけて 襲いかかろうとする、強大な波の高さは
ホテルの建物を、丸ごと呑んでしまいそうな、凄い物だった。
この写真を撮影していた人は無事だったのだろうか?
いすれ、命がけで撮影したに違いない。
貴重な記録写真である。
私の工房のスタッフの長男が、このホテルのフロント係りで勤務していたが、5階に逃れ、誰一人の被害者も無く助かったそうだ。しかし、ホテルの営業再開は断念、全員解雇という残念な結果になった。

2011-04-30(土) 18:01:06
 『岩手県・広報-田野畑より』
 ここは、田野畑村・島の越地区。
小学校、三陸鉄道の駅、すべてを瓦礫と化した大津波。
道路が Y の字に分かれている左側の赤い点が見えている場所に
私の本家 従兄の家が在った。
幸い、一家は、遠くにいるため、「流されたな!」とは思ったが、
慌てはしなかった。しかし、私の曽祖父一家が明治29年の三陸大津波で
流されているのに、また繰り返しをしてしまったという、無念さがのこる。

2011-04-30(土) 18:10:39
 『岩手県・広報-田野畑より』
 島の越湾と同様に、中学生の頃 泳いで湾を横断して遊んだ羅賀湾。
左側の斜面の上部に友人の、元島の越郵便局長の家が在った。
私は、あそこまでは津波は届かないだろう、と安心していた。
本人も、津波の第一波が来た時には、自宅からカメラを向けて撮影していたそうだ。しかし、後から真っ黒い巨大な波が見え、慌てて奥さんと、出産の準備で帰っていた娘を背後の山に押し上げて、助かったが、
左手に見える赤茶色屋根の隣家と1メートル高い後ろの家並みを残して
すべてさらわれてしまった。

2011-04-30(土) 18:38:48
 『岩手県・広報-田野畑より』
 これが、無事に生き残った、早野一弘君。
剣道スポーツ少年団の指導を長年続けてきた。
仕事の上でも成績優秀で、管内の世帯数196世帯、人口680人、2名局でありながら、保険契約高は常に目標の300%以上をクリア。「寒風干し新巻鮭」小包で、お歳暮時期の1ヶ月に3000個から4000個を扱い、4日間ほど生きたまま送ることができる“活アワビ”の考案。これらの実績を全国特定郵便局大会で発表し、最優秀賞を獲得している。
彼は、漁業者や、水産加工業者と相談しながら、売れる商品作りを次々と作り上げ、郵便局の業績を上げるとともに、地場産業の育成にも多々貢献してきた男だ。
今回の大津波で残念だったことは、退職記念に、当工房が作り、納めてきた純木家具が、すべて津波にさらわれてしまったこと。そして、緊急事態で逃げるため、鎖につないだまま 津波にさらわれてしまった 愛犬のこと。