2011-07-14(木) 10:22:17
 『大災害を契機に、いわての理想の未来像を』(岩手経済研究 2011.7より抜粋)『小川 彰 岩手医科大学学長』の巻頭言。
 『東日本大震災』の命名は大間違いだ。本県で死者・行方不明者約8,000名に対し、怪我人が165名に過ぎなかったことがこれを裏付けている。すなわち、今回の災害は地震災害ではなく津波災害なのだ。国が名づけた命名に「大津波」の言葉が無いことは、現場を見ないで、現場から遥かに遠い「霞ヶ関・永田町」で全てを決めてしまう 国民から乖離した政府の姿勢そのものだ。
災害の大きさが明らかとなり、様々な物資不足が問題となってきた3月14日の月曜日、私自身は文部科学省、厚生労働省はじめ多くの省庁の現場担当者と連絡を取り、現場の窮状を訴えた。各担当者は快く対応を約束し様々動いてくれた。しかし(何処からの圧力か)次の日突然連絡が入った。その内容に耳を疑った「県知事から首相官邸 菅 直人宛の正式要望書が無ければこれ以上動けない」と言う。「現場は戦争状態にある。弾が飛び交っている中、平時のように書類を上げて来いとは何事だ!」と怒ってみた所で事態は解決しない。直ちに県庁に趣き、県経由で要望書を知事名義で送ってもらった。しかし、この要望書に沿った支援物資(医薬品)が届いたのは、更に2週間が経った後であった。
この間のエネルギー不足は目を覆う状態だった。盛岡市内から自動車が消えた。避難所では灯油不足で住民は劣悪な環境に置かれていた。このような状況の中、3月14日夕、海江田経済産業大臣が「石油国家備蓄を放出し被災地にエネルギーを送る」という画期的な記者会見をした。わずかな灯りが見えたように思った。しかし、タンクローリーや石油列車が動き出したのは、その1週間後であり、被災地への到着は更に遅れることになり、希望は打ち砕かれた。
自然災害の脅威は如何ともしがたい。しかし、災害発生直後の危機管理能力の欠如は被害を何倍にも増幅させる。増幅された被害は天災ではないまさに「人災」である。
国の初動の遅れは何故生じたのかをしっかり検証し今後の糧としなければならない。しかし、国に責任を押し付けるばかりでなく、我々個人個人が今後この経験を生かし、何をしなければならないのかを真剣に考える良い機会となった。また、災害があったからこそ復興、再生、新生がある。これを機会に「いわての理想の未来像」を白いキャンパスに新しく書き直す事こそ必要なのではないかと思う。

2011-07-29(金) 10:44:25
 【田沢湖龍神祭り】 八郎太郎始動-1

 今年も、田沢湖龍神祭りに応援に行ってきました。
7月23日(土) 7月第4土曜日に開催されます。

2011-07-29(金) 10:49:00
 【田沢湖龍神祭り】 八郎太郎始動-2

 伝説では、田沢湖は冬でも凍らない湖。
冬になると、八郎潟の主 八郎太郎が、訪れます。
寒い冬の間、辰子と二人で田沢湖で過ごし、春になると八郎潟へと帰っていくのです。

2011-07-29(金) 10:51:52
 【田沢湖龍神祭り】

 岩泉から応援に駆けつけた独身組みと、秋田の女子大生たちが祭りを前に じゃれあっています。
これも、彼等にとっては楽しみです。

2011-07-29(金) 10:54:38
 【田沢湖龍神祭り】

 祭り広場に設営された、辰子と太郎の縁結び神社。
夜8時になると、神事が始まります。

2011-07-29(金) 10:57:03
 【田沢湖龍神祭り】 辰子龍始動-1

 辰子龍も、始動です。

 

2011-07-29(金) 10:58:32
 【田沢湖龍神祭り】 辰子龍始動-2

 辰子龍を担ぐ部隊も勢ぞろい。

2011-07-29(金) 10:59:38
 【田沢湖龍神祭り】

 神事が始まりました。
祝詞奏上。

2011-07-29(金) 11:03:35
 【田沢湖龍神祭り】

 辰子と八郎太郎の伝説は、いつしか縁結びの神社として
人気が出てきています。
一緒に 龍を担ぐことで、地域の祭りに参加・協力し、
あわせて、二人の気持ちを盛り上げてくれる効用があるようです。

2011-07-29(金) 11:04:53
 【田沢湖龍神祭り】

 今年度 ミス田沢湖の 玉ぐし奉天。

2011-07-29(金) 11:05:55
 【田沢湖龍神祭り】

 今年度 ミスター田沢湖の 玉ぐし奉天。

2011-07-29(金) 11:08:22
 【田沢湖龍神祭り】

 田沢湖町は、角館町と合併して 仙北市 となっています。
仙北市長の 玉ぐし奉天。

2011-07-29(金) 11:12:46
 【田沢湖龍神祭り】

 田沢湖観光協会の佐藤会長 玉ぐし奉天。

佐藤会長は、岩泉町の 冬の祭り、“龍泉洞みずまつり”には、田沢湖の若者達と“辰子龍”を同行して参加協力してくれています。
今回は、第25回。2012年1月8日に行われます。

2011-07-29(金) 11:14:26
 【田沢湖龍神祭り】

 田沢湖の中で、“双龍の出会い”

2011-07-29(金) 11:15:31
 【田沢湖龍神祭り】

 出会いを追えて、砂浜に向かう。

2011-07-29(金) 11:21:08
 【田沢湖龍神祭り】

 双龍の上陸。
これから、双龍を解体して、倉庫に収納する。
その後は、9時から 交流会だ。
交流会は、千円会費。岩泉町と田沢湖の協定で、千円会費で飲み放題、食べ放題 夕食を済ませる。
新年は、1月8日、龍泉洞で“双龍の出逢い”が見られる。

2011-07-29(金) 11:25:02
 【田沢湖龍神祭り】

 いつも泊まる『レイクサイドホテル』が、営業してないので、
ペンション孫兵衛 に泊まりました。
築7年 とのこと。
木造の、ゆったりした宿泊ができる。
風呂は、2箇所。いずれも、タップリした温泉だ。

2011-07-29(金) 11:29:11
 【田沢湖龍神祭り】

 朝食を終え、一路 岩泉へと帰ります。
土曜日の午後2時に出て、帰宅は、日曜日の11時。
一昼夜24時間もかからず、今年の夏祭りも終わりました。
本当は、ゆっくりと温泉に浸って、2〜3泊したいところですね。

2011-07-31(日) 17:40:18
 【宮古市田老(旧田老町)の現況】
 腹子建具店工房跡。腹子さんには、旋盤加工をお願いしてもらってました。
大きく長い地震の直後、大津波。「腹子さんは大丈夫か?」純木家具の工房では、皆それを案じた。「いや、彼は70歳代で、田老に生まれ育ったベテランだから、工房の脇に停めてある軽トラックで、国道の坂を登って逃げたろう」私は、そう言い、そう念じてもいた。しかし、電話は通じない、車で行くにも国道は壊れて通行止め、何より燃料が止められていて、ガソリン、経由、一切入手できない、どこにも行くことが出来ないのだ。
 

2011-07-31(日) 17:47:16
 【宮古市田老(旧田老町)の現況】
 田老観光ホテルも、津波の跡が痛々しい。
2年前の12月、“山の神”の祝いにこのホテルに一泊した。
宴会の幹事が、ここ田老町から岩泉の工房まで通勤していたスタッフだった。
わたしは「こんな防波堤の外にあるホテルなんて、津波がきたらどうするんだ」と、怒った。しかし、後の祭りだった。
田老でも、防波堤の内側であれば少しは安心できたのだが。腹子建具店も同じく防波堤の外側に有った。

2011-07-31(日) 17:53:02
 【宮古市田老(旧田老町)の現況】

 これだけ高い防波堤があるというのに、何としたことか。びくともせず、厳然と立っているではないか。
しかも、この外側に、新しく防波堤が築かれていた。
明治29年の三陸大津波、昭和8年の三陸大津波、その後のチリ地震津波度重なる津波の被害に、二重の防波堤を築き、安心を得ていた田老町だった。

2011-07-31(日) 17:59:08
 【旧田老町の現況】
 
 防波堤に上り下りする階段の手すりを見て唖然とした。
こんな高い防波堤を乗り越えて来たのだ。手すりがのめっている。
この町の被害は、数個の水門から飛び出した津波ではなく、この高い防波堤を乗り越えて襲来した津波により大被害を蒙ったものだった。

2011-07-31(日) 18:07:55
 【旧田老町の現況】
 大きな鉄骨の建物は、2階までは完全に被害が認められる。
3階はどうだっただろうか。
いずれ、防波堤が無かったら、4階、5階建てでも、根こそぎ持って行かれたものと思われる。
ところで、腹子建具店さんは、一ヵ月後くらいにひょっこり岩泉の工房に現れました。「預かっていた材料は津波に盗まれてしまいまして、済みません」「家内を盛岡の病院に連れて行って、帰る途中で地震を感じました。宮古まで来て、街が津波で大騒ぎになっていたので、林道を通って回り道をして帰宅しました」ということで、人間は無事でした。

2011-07-31(日) 18:14:03
 【旧田老町の現況】
 田老病院も津波の直撃を受けていた。
この地域の人たちの医療を担っていた太郎病院。
実は、私は肩から腰まで重症だった5年程前、毎週 この田老病院に通い、院長の増田先生の治療を受けておりました。
建物は、何とか残っていますが、内部は、空っぽと想像されます。
押し寄せてきた潮には何とか持っても、引き波には、全てが持っていかれます。

2011-07-31(日) 18:17:09
 【旧田老町の現況】

 潮に浸かった杉林は、葉が茶色に変わり、枯れがかっていました。
回りの樹は、変わりなく緑の葉を保ってますから、ほんのちょっとの位置の違いで何を逃れたのでしょう。

2011-07-31(日) 18:26:21
 【宮古市田老(旧田老町)の現況】
 防波堤の水門を内側から覗いてみました。
港のあたりには、瓦礫の山が見えます。
何の事は無い、内側の瓦礫が片付いたと思ったら、岸壁に山積みにしていました。
被災地の復旧は、一向に進んでいません。
3月の震災から5ヶ月近くも立っているのに、『復興計画を検討したい』というばかりで、計画さえ手がついていないという現状は『日本は国家なのか? 政府は無いのか?』と強く思う。
『政治家も官僚も、現地を見ろ。復興本部は被災地近くに構えろ』