『清水川 坂田伝助物語』 清水川大橋から下流を眺める。龍泉洞からの清水も加えて岩泉の街裏を流れている。子供の頃は この辺の生活用水だった。数箇所には川に上り下りする木製の階段が在り、鍋、釜を洗ったり、食器を洗ったりする主婦の姿が見られた。 ところで、この写真の右手側に『坂田みず』と呼ばれている湧き水の井戸がある。大正時代の初期に中国・鴨緑江の橋梁建設を手があけた坂田伝助さんが整備したと伝えられる井戸だ。大正期、岩泉の酢酸工場建設のための職人組を連れて乗り込んできたが、折からの“スペイン風邪”の大流行で職人達が次々と死んでしまって工事が出来なくなり止む無く借金をして川端に銭湯を開業したという。この話は盛岡に住む友人の細君から聞いて初めて知りました。坂田翁の孫に当たる人だという。偶然だが昭和40年に私の父が銭湯の営業権を買い受けて、移転建築して、母が『滝の湯』を開業し、番台に座って私の家は“風呂屋”になっていました。
|