9/27
被災から間もなく1か月。
必死で目の前のことをやり続ける期間が一段落し、
徐々に周りが見えてくる、あるいは疲れが噴き出してくる時期のようです。
SNSなどを見ましても、ちょっと言葉にとげが見えたりですとか、
住民とボランティア、あるいは住民同士の感情のすれ違いなどが、
所々で起こっているようです。
私なども、取材をいただいたり、あちこち歩き回ったりしておりますが、
それにつきましても、もしかしたら、どこかで批判が出ているかもしれません。
とはいえ、信念に基づいてやっていることは、今後も臆することなく、
続けていきたい所存です。
感情のすれ違いにつきましても、一概にどちらが正しいということもない。
たとえば、ボランティアに行ったのはいいけれど、
初めてなのでてきぱきとは動けない。これに対して、
様々なことに我慢を強いられている住民からは、
「もっと手際よくやってもらわないとはかどらない」
「隣の家はきれいに片付いたのに、同じ人数でもうちは遅れている」
みたいな声も出るわけです。
これに対し、心が狭いとか、もっと感謝するべきなどと言うのは簡単ですが、
1か月近く、自分だけで泣きそうになりながら片づけを進めていたり、
未だに断水している(奥地は停電も)中で作業している人などは、
もう心の限界を超えていたりするわけです。
心無いメディアなどに取り上げられれば、「炎上」しかねない現状ですが、
これも被災地の生の姿として、書きとめておきたいと思います。
さて、昨日は被災後初めて、小川地区に足を運びました。
道の駅や介護施設が大きな被害を受けた、「小本川」の上流側です。
実は、この地区で最大級の被災をしたのが、うちの関係者でした。
「角Dチェア」シリーズや、一部のスツールを使ってくださっている皆様。
裏に「砂」の文字が入った焼き印がありませんか?
「砂」の文字入りの椅子は、この木工所で作られていました。
70代のベテラン職人が、ご夫婦で、何十年も、
うちの椅子を作ってくれていました。
しかし、工房も、リフォームしてまだ数年の自宅も、失ってしまいました。
ご自宅は土台の下も削られ、1階の品物すべてが水没し、
家電も服も、使えなくなってしまいました。
ご自宅は、もう住めないそうです。
原因の一つが、この橋。
橋の橋脚に流木がひっかかり、そこにさらに瓦礫などがたまり、
川を溢れさせ、その流れがご自宅と工房を直撃したということです。
今は知人の持ち家を借り、なんとかしのいでいるとのこと。
片づけをしながらも、木工機械は少しでも錆びを食い止めるべく、
機械油でメンテナンスをしていらっしゃいます。
ただ、歳も歳のため、また木工所として再起するかは、わからないとのこと。
弊社になにができるのか。
これから考えなくてはなりません。