10/2
いよいよ、10月に入りました。
幸か不幸か、岩泉町は名産のマツタケが豊作だそうです。
思えば東日本大震災の前の秋も、豊作でした。
岩泉には、趣味でマツタケを採る人より、年収の数割をマツタケで賄う、
キノコの達人が多いです。
もちろん、平常時は農業などの主業を持っており、副業でキノコを採るわけです。
ところが、今回の被災で家を失い、田んぼを失い、さらにマツタケを採ろうにも、
林道が被災して山まで車で行けない。
中には往復6時間も歩き、生活の糧となるマツタケ採りに行く人もいるとか。
せめてマツタケだけでも、収益になればよいのですが。
岩泉産松茸、見かけたらぜひお買い求めくださいね。
さて、土曜日にはいよいよ、最大の懸案事項ともいえる、
倒壊しかけた倉庫からの、材木救出作業が始まりました。
崖の上、基礎の下3分の1ほどは地面が崩落、入っているのは最大長さ4メートルもある、
大きな一枚板がほとんど。
あまりに悪条件が重なっています。
さらに、地元の建設業者さんは、崩落したり土砂崩れを起こしたりしている、
道路などの復旧に全力を挙げており、お願いできる余裕がありません。
困っていたところ、いつもとてもお世話になっている、
岩泉の林業の先導役でもある、今村さんから、頼もしい業者さんをご紹介いただきました。
花巻市石鳥谷にある、高田工業さん。
>https://takata-k.co.jp/
社長さんは建設業協会の青年部会長も務めていらっしゃり、とても柔和なかたなのですが、
熱い情熱を持っていらっしゃいます。
先日、今村さんを通じてのお願いに、自らいち早く現場の視察にお見えになりました。
その時の状況は、25日のブログを参照ください。
>岩泉純木家具復興への軌跡9/25
その後、技術担当さんと、実際に重機を操るプロが、直接現場を確認くださいました。
そして間もなく、短期間で工事方法を練り上げてくださった次第です。
土曜日の朝。
早朝6時に花巻市の石鳥谷を出発してくださって、8時には現場入り。
うちが現場に行くより早かったほどです(すみません)。
駆けつけてくださったスタッフさん、なんと7名!
若手からベテランまで大勢、この作業にあたってくださいました。
手際よく、道具を下していきます。
これは伸縮する鉄パイプ。
支えに使ったりするもののようです。
被災当初、これを使って倉庫を支えたらどうかと言ってくださったかたがいらっしゃいました。
ただ、地元の建設業者さんは、道路復旧のため動ける余裕がなく、
自分たちでやるしかありません。
でも、どれだけ入れれば安定させられるか、そもそも、これだけでもつのかどうか、
基礎の下に入って作業することの安全性はどうか、などが、
私たちの素人判断では危険すぎます。
そのため断念した経緯がありました。
準備万端整って、作業に入ります。
まずは鉄パイプで仮設の台を設置。
引き出した板が落ちてしまわないよう、また作業をやりやすくするよう、
設置するもの。
今回の作戦では、これが大きな役割を果たしました。
素人が手を出すことの怖さは、「危険の度合いを知らないこと」。
ここに乗ったら崩れる、ここは歩いても大丈夫、などの、的確な判断ができないことです。
一方、それを見極め、スムーズに作業を進めるのがプロフェッショナル。
「怖いもの知らず」は、プロではありません。
怖さを知って、その危険性を回避する術を熟知しているのが、プロです。
崩れた地面と、浮いたコンクリート基礎の状態を、事前に確認して、
基礎の下に、木のつっかえ棒をかませます。
木の棒で、コンクリートの基礎、プレハブ小屋、そして中身の材木と、
大きな重量を支えられるのでしょうか。
いや、このつっかえ棒は、万が一崩れた時に支えるというよりも、
崩れる”きっかけ”を無くす役割のようです。
たとえるなら、床を平らにしてバリアフリーにすることで、
つまづく原因をなくし、転ぶリスクを減らし、けがを防ぎます。
コンクリートの基礎は、割れなければ、崩落しません。
割れるのは、衝撃などを受けてそこが変形するから。
つっかえ棒を入れることで、この原因の変形を取り去ってしまうんですね。
足元を固めたところで、板の運び出し。
上のほうは小ぶりなものが多く、1枚ずつ手で運んでくださいました。
手前側(地面に乗っている側)から抜き出してしまうと、崖側が重くなり、
崩落のリスクが出ます。
崖側の、浮いているほうから行います。
「材木運び」は慣れていないと思いますが、すぐにスピードが上がり、
とても手際よく運んでくださいました!
私の仕事はというと、「じゃまをしないこと」くらい。
とはいえ、写真を撮りまくってしまいましたが。
そしてついに、本丸に突入。
大きなカウンターになる、最長で4メートル以上の一枚板の搬出です。
ここからは、前日に運び込まれた重機を使った作業です。
>岩泉純木家具復興への軌跡9/30
中から手作業で、板の端にバンドをかけ、それを重機に括り付け、引っ張ります。
黒っぽいシャツのスタッフさんが、こちらのほうを指さしています。
細かく指示を出し、重機のオペレーターさんがそれを読み取って、
慎重に大きな重機を動かしていきます。
ある程度引っ張り出したら、先に作った鉄パイプの仮設台に載せ、バンドを中央にかけなおし、
上のほうに吊り上げます。
乱暴に操縦すると、板が落ちるばかりか、スタッフさんの怪我や、
倉庫を崩落させてしまいかねません。
そこはプロ、長年かけて培った操縦技術と、ハンドサインを出すスタッフさんと呼吸を合わせ、
丁寧にクリアしていきます。
この、見上げんばかりの高さ!
つっかえ棒や、コンクリートの基礎の状態にも目を光らせながら、
大変な現場ながら、安全に作業が進んでいきます。
板が出てきました!
長さ3メートル75センチ、奥行きは90センチもある、岩手県産のセンの木の一枚板です。
これだけの大きさで、しかも目の細かいものは、今では手に入りません。
プレハブ倉庫は、棚を兼ねて、木の柱や梁で補強しながら使ってきました。
それらを、不要な部分については外しながら、板の救出作業が続きます。
この倉庫は、長手方向は10メートル以上ある、細長いもの。
そこに4メートル級の長尺材が、手前と奥とで二層に分かれて入っています。
奥側は崩落してしまっていますから、手前から抜き出すしかありません。
倉庫の中には4、5人のスタッフさんが入り、黙々と作業してくださいます。
出てきた材木の山!
フォークリフトいっぱいの材木が、みるみるうちに積み上げられていきました。
崖側に入っていた材木が、無事にすべて運び出されました!
そちらが軽くなったことで、重心が手前に来ます。
これで安心して、地面に載っているほうの材木を抜き出すことができます。
このプレハブ倉庫は、もう移築できる状態ではありません。
壊して処分するわけですから、壁を壊せば、フォークリフトで運び出せます。
一度工房に戻り、所用をこなし、戻ってきたら、作業は終わっていました。
壁を剥がし、鉄骨の柱や、木の柱を切断し、フォークリフトで運び出せたとのことです。
状況を見るに、一部は人手も使ったようです。
重い木材でしたが、ほんとうにありがとうございます。
中身がなくなった倉庫。
ぎっしり詰まっていた材木が、1枚も崖に落ちず、しかも驚くことに、
ぶつけたりして大きな傷がつくこともなく、完璧に運び出されたのです。
お怪我もなく作業が終わったことに、ほっとしました。
奥のほうは、基礎が崩落しています。
一部は床の下の地面がなくなっていますから、ぎりぎりまで近づくわけにはいきません。
気の抜けない作業でしたが、皆さん落ち着いて、無駄に怖がることなく、
かといって適度な緊張感を失うこともなく、進めてくださいました。
この日の作業は、倉庫の解体まで手をかけてくださいました。
重機を使えば簡単に壊せそうですが、意外なほど丈夫でした。
単純に壊れにくかったこともありますが、乱暴に扱って、柱などが崖下に落ちたり、
バランスを崩して全体が崩落して、事故を招くのを防ぐためだったと思います。
下から見ると迫力があります。
頭の中にはジュラシックパークのテーマソングが流れています(笑)
瓦礫の処分は、ごちゃ混ぜでは引き取ってもらえません。
金属や木材、ガラスなどに、分別しなければなりません。
その作業も、黙々とこなしてくださいました。
まとまっての休憩時間はありましたが、作業中に「疲れた」などの声が出たり、
ぼーっと立ち尽くしたり、という様子は微塵もありませんでした。
私はそういうこと、普段の作業でけっこうあります。
身につまされます。
コンクリートの基礎を残して、すっかり片付いた倉庫「跡」をバックに、
作業を見届けに来てくださった、今回のご縁を結んでくれた今村さんを交えて、
恒例の無茶ぶり集合写真。
おひとり、やんちゃなかたがいらっしゃいますね。若手はいじられ役(笑)
お帰りになったのは17時過ぎでした。
休憩を除いた作業時間は8時間、会社との移動時間は往復4時間以上。
心苦しいばかりの、長時間かつ緊張を強いられるであろう作業でした。
手際よく、黙々と、明るく作業をこなしてくださった高田工業の皆さま。
そしてこの素晴らしい会社をご紹介くださった今村さん。
ほんとうにありがとうございました!
週明けからは、もっと難易度の高い、もう1棟の倉庫からの木材救出作戦です。
木材や倉庫が崩落することはやむなし。
とにかく安全を最優先で、笑顔で終われることを祈っています。